スタートアップの人件費計上:開発費と保守費の適切な会計処理
投資家が見るポイント
スタートアップの事業計画や決算書を見る際、投資家やアドバイザーが「ちゃんとしている」と感じるポイントの一つが、エンジニアの人件費の計上方法です。
スタートアップの事業計画を拝見した際、業務委託含むエンジニアの人件費のうち開発分を売上原価(orソフトウェア資産)、保守分を販管費に計上していたら「ちゃんとしてる」と感じますね。
正社員分は勤怠管理の証跡と紐づいていたらパーフェクト。
この記事では、なぜこの会計処理が重要なのか、どのように実装すればよいのかを解説します。
なぜ人件費の区分が重要なのか
1. 事業の収益性を正しく把握できる
エンジニアの人件費を適切に区分することで、事業の真の収益性が見えてきます。
開発費を売上原価に計上する場合:
- 粗利率が正確に計算できる
- プロダクト開発にかかる真のコストが明確になる
- 投資対効果の測定が可能になる
保守費を販管費に計上する場合:
- 運営コストとして正しく認識できる
- 事業のスケーラビリティが評価しやすくなる
2. 投資家への説明責任
投資家は、スタートアップの財務状況を正確に理解したいと考えています。人件費が適切に区分されていることで:
- 信頼性の向上:会計の基本ができている企業として評価される
- 比較可能性:他社や業界標準との比較がしやすい
- 将来予測:事業計画の精度が高まる
3. 上場準備やM&Aに向けて
将来的にIPOやM&Aを目指す場合、会計処理の適正さは重要な評価ポイントになります。早い段階から適切な処理を行うことで:
- デューデリジェンスがスムーズに進む
- 過去の修正作業が不要になる
- 企業価値評価が正確になる
開発費と保守費の区分基準
開発費(売上原価 or ソフトウェア資産)
以下のような業務は「開発費」として計上します:
新機能の開発
- 新しいサービスや機能の実装
- 既存機能の大幅な改修・リニューアル
- アーキテクチャの変更
要件定義・設計
- プロダクトの企画・設計
- 技術仕様書の作成
- データベース設計
テスト・品質保証(開発に紐づくもの)
- 新機能のテスト
- リリース前の品質確認
保守費(販管費)
以下のような業務は「保守費」として計上します:
運用・保守作業
- サーバーの監視・メンテナンス
- バグ修正(軽微なもの)
- セキュリティパッチの適用
顧客サポート対応
- 問い合わせ対応のための調査・修正
- データの確認・修正作業
インフラ管理
- サーバーやクラウドの管理
- パフォーマンスチューニング
ソフトウェア資産として計上すべき場合
開発費の中でも、以下の条件を満たす場合は「ソフトウェア資産」として計上し、償却していきます。
資産計上の要件
販売目的のソフトウェア
- SaaSプロダクト本体の開発
- 顧客に提供するアプリケーション
自社利用のソフトウェア
- 将来の収益獲得または費用削減が確実
- 完成品として利用可能
資産計上のメリット
- 一時的な費用負担が軽減される
- 資産として貸借対照表に計上される
- 投資家に対して「投資」として説明できる
資産計上の注意点
- 償却期間の設定(通常3〜5年)
- 減損リスクの評価
- 会計監査での説明責任
実務的な管理方法
1. 工数管理システムの導入
エンジニアの業務時間を正確に把握するために、工数管理システムを導入します。
おすすめツール:
- Jira:チケット管理と工数記録が連動
- Toggl Track:シンプルな時間記録
- Teamwork:プロジェクト管理と工数管理
- freee工数管理:会計システムと連携
2. プロジェクトコードの設定
開発案件ごとにプロジェクトコードを設定し、工数を紐づけます。
例:
- DEV-001:新機能A開発 → 売上原価
- DEV-002:機能B改修 → 売上原価
- OPS-001:サーバー保守 → 販管費
- SUP-001:顧客サポート → 販管費
3. 業務委託契約の管理
業務委託エンジニアについても、同様に工数を記録します。
契約書への記載例:
- 月次で作業内容の報告を受ける
- 開発作業と保守作業を区分して報告
- タイムシートの提出を義務付ける
4. 正社員の勤怠管理との紐付け
正社員については、勤怠管理システムと工数管理システムを連携させます。
実装のポイント:
- 日次または週次で工数を記録
- 勤怠データと整合性をチェック
- 月次で集計して会計システムに連携
証跡として残すべき情報:
- 日付・時刻
- 作業内容
- プロジェクトコード
- 承認者の確認
会計仕訳の実例
ケース1:新機能開発(売上原価)
借方:売上原価(開発費) 1,000,000円
貸方:給与(または外注費) 1,000,000円
ケース2:ソフトウェア資産計上
【開発時】
借方:ソフトウェア 5,000,000円
貸方:給与(または外注費) 5,000,000円
【償却時(年間)】
借方:ソフトウェア償却費 1,000,000円
貸方:ソフトウェア 1,000,000円
ケース3:保守作業(販管費)
借方:販管費(保守費) 500,000円
貸方:給与(または外注費) 500,000円
よくある質問
Q: 開発と保守の区分が曖昧な作業はどうすれば?
A: 基本的には「新規性があるか」で判断します。既存機能の維持・修正は保守、新しい価値を生み出す作業は開発として区分します。判断が難しい場合は、保守として計上する保守的な処理を推奨します。
Q: 工数記録が負担になりませんか?
A: 初期は負担に感じるかもしれませんが、慣れれば1日5分程度で記録できます。また、プロジェクト管理の透明性が向上し、チーム全体の生産性向上にもつながります。
Q: 業務委託の場合、契約書に何を記載すべき?
A: 「作業内容の報告義務」「工数記録の提出」「開発業務と保守業務の区分」を明記します。月次での報告書提出を契約条件に含めることを推奨します。
Q: 過去に遡って修正は可能ですか?
A: 可能ですが、証跡が必要です。当時の作業記録やメール、GitHubのコミット履歴などを元に、合理的に推定して修正します。ただし、早めに適切な処理に切り替えることを推奨します。
段階的な導入ステップ
フェーズ1:現状把握(1ヶ月目)
- 現在の人件費計上方法を確認
- エンジニアの作業内容をヒアリング
- おおよその開発・保守比率を把握
フェーズ2:管理体制の構築(2〜3ヶ月目)
- 工数管理ツールの選定・導入
- プロジェクトコードの設計
- エンジニアへの説明と研修
- 試験運用の開始
フェーズ3:運用開始(4ヶ月目〜)
- 正式運用の開始
- 月次での集計と会計処理
- 定期的な見直しと改善
フェーズ4:証跡の整備(並行実施)
- 勤怠システムとの連携
- 承認フローの整備
- ドキュメントの作成
まとめ
エンジニアの人件費を適切に区分することは、スタートアップの財務管理の基本であり、投資家からの信頼を得るための重要なポイントです。
重要なポイント:
- 開発費と保守費を明確に区分する
- 工数管理システムで証跡を残す
- 業務委託も含めて管理する
- 正社員は勤怠と紐付ける
- 段階的に導入していく
完璧を目指す必要はありません。まずは大まかな区分から始めて、徐々に精度を上げていくアプローチが現実的です。
財務の透明性は、資金調達やM&Aの場面で必ず評価されます。今のうちから適切な会計処理を実践し、「ちゃんとしている」スタートアップとして認識されることが、長期的な成功につながります。