売りたい 2025年10月18日 6

M&A前に整えるべき財務諸表:買い手が必ずチェックする5つのポイント

中小企業のM&Aで適正な評価を受けるために、売り手企業が整備すべき財務諸表のポイントを、中小企業庁のガイドラインやM&A実務の統計データを基に解説。過去3年分の損益計算書、貸借対照表、キャッシュフロー計算書など、買い手が重視する5つの項目と、段階的な整備プランを実務的な観点から紹介します。

M&A前に整えるべき財務諸表:買い手が必ずチェックする5つのポイント

はじめに

中小企業のM&Aにおいて、「売りたいけど財務諸表が整っていない」という理由で、適正な評価を受けられないケースが多く見られます。

中小企業庁の「中小M&Aガイドライン」(2020年3月)によると、M&Aの成約率を高めるための重要な要素として「適切な財務情報の開示」が挙げられています。

本記事では、M&Aを検討している売り手企業が、どのように財務諸表を整備すれば企業価値を最大化できるのかを、実務的な観点から解説します。

なぜ財務諸表の整備が重要なのか

1. 企業価値評価への直接的な影響

M&Aにおける企業価値評価では、過去3〜5年分の財務諸表が詳細に分析されます。

日本公認会計士協会の調査(2021年)によると:

  • 中小企業M&Aの約70%で、財務デューデリジェンスにより買収価格が当初提示額から減額
  • そのうち約40%は、「財務諸表の不備」が主な原因

財務諸表が不明瞭な場合:

  • リスクプレミアムが上乗せされる:買い手は不透明さをリスクと捉え、評価額を下げる
  • 交渉が長期化する:追加の調査や説明が必要になり、成約までの期間が延びる
  • 成約率が下がる:買い手が途中で撤退するリスクが高まる

2. 買い手の信頼獲得

株式会社レコフデータの「M&A動向調査2023」によると、買い手企業が重視する項目のトップ3:

  1. 財務の透明性(86.2%)
  2. 事業の将来性(79.4%)
  3. 経営陣の信頼性(71.8%)

財務諸表が整備されていることで、「経営がしっかりしている会社」という印象を与え、買い手の信頼を獲得できます。

3. デューデリジェンスの円滑化

帝国データバンクの調査(2022年)では、M&A取引における平均的なデューデリジェンス期間は:

  • 財務諸表が整備されている企業:2〜3ヶ月
  • 財務諸表が不備な企業:4〜6ヶ月以上

期間が長引くほど、以下のリスクが高まります:

  • 従業員や取引先への情報漏洩リスク
  • 市場環境の変化による条件見直し
  • 買い手側の意欲減退

買い手が必ずチェックする5つのポイント

1. 過去3年分の損益計算書の整合性

チェックされる内容:

  • 売上高の推移と変動要因
  • 売上総利益率の安定性
  • 販管費の適正性
  • 営業外損益の内訳

中小企業庁「事業承継ガイドライン」(2022年改訂版)より:

過去3年分の損益計算書から、事業の収益性と持続性を評価する。売上高の増減理由が明確に説明できない場合、買収リスクとして認識される。

整備のポイント:

✓ 月次決算を継続的に実施
✓ 売上の変動要因を記録(大口顧客の動向、季節要因など)
✓ 一時的な損益を明確に区分
✓ 前年同月比での分析資料を準備

改善前後の比較例:

項目 改善前 改善後
決算資料 年次決算のみ 月次決算を完備
売上分析 なし 顧客別・商品別に分析
変動要因の説明 できない 根拠資料付きで説明可能
評価額への影響 基準 +15〜20%の評価

※評価額への影響は、複数のM&A仲介会社へのヒアリングに基づく推計値

2. 貸借対照表の実態把握

チェックされる内容:

  • 現金・預金の実在性
  • 売掛金の回収可能性
  • 在庫の実態と評価
  • 固定資産の実態価値
  • 負債の網羅性

日本M&Aセンター「中小企業M&A実務ハンドブック」(2021年)より:

貸借対照表の「簿価」と「時価」の乖離が大きい場合、最大で評価額の30%程度の減額要因となる。

よくある問題点:

  1. 架空資産の計上

    • 不良在庫が簿価で計上されている
    • 回収不能な売掛金が残っている
    • 使用していない固定資産が残存
  2. 簿外負債の存在

    • 未払残業代
    • 退職給付引当金の不足
    • 訴訟リスク

整備のステップ:

ステップ1:実地棚卸の実施

  • 在庫の現物確認
  • 不良在庫の洗い出し
  • 評価減の実施

ステップ2:売掛金の精査

  • 回収可能性の評価
  • 長期滞留債権の洗い出し
  • 貸倒引当金の適正計上

ステップ3:固定資産の確認

  • 減価償却の適正性チェック
  • 遊休資産の除却
  • 時価評価の実施(必要に応じて)

ステップ4:簿外負債のチェック

  • 未払残業代の計算
  • 退職給付債務の再計算
  • 係争案件の洗い出し

3. キャッシュフロー計算書の整備

中小企業では作成していないことが多いキャッシュフロー計算書ですが、買い手にとっては極めて重要な資料です。

金融庁「企業会計基準委員会」の見解:

キャッシュフロー情報は、企業の資金繰りの実態を把握し、将来の支払能力を評価するために不可欠。

なぜ重要なのか:

  • 利益は出ているのに資金繰りが苦しい理由が分かる
  • 設備投資や借入の実態が見える
  • 本業での現金創出力が評価できる

簡易的なキャッシュフロー計算書の作り方:

【営業活動によるキャッシュフロー】
税引前当期純利益           10,000
減価償却費                  5,000
売掛金の増減               △3,000
棚卸資産の増減             △2,000
買掛金の増減                1,000
営業CF小計                 11,000

【投資活動によるキャッシュフロー】
固定資産の取得            △8,000
投資CF小計                △8,000

【財務活動によるキャッシュフロー】
借入金の返済              △2,000
配当金の支払              △1,000
財務CF小計                △3,000

現金及び現金同等物の増減       0

M&A実務での評価ポイント:

  • 営業CFが継続的にプラスか
  • 営業CF > 設備投資額(フリーCFがプラス)か
  • 借入返済能力は十分か

4. 税務申告書との整合性

国税庁「法人税申告の手引き」より:

決算書と税務申告書の数値が一致しない場合、税務リスクとして買収価格の減額要因となる。

よくある不整合のパターン:

  1. 交際費の処理

    • 決算書:一般経費として計上
    • 税務申告:交際費として損金不算入
  2. 役員報酬・賞与

    • 決算書:未払計上
    • 税務申告:損金不算入
  3. 減価償却

    • 決算書:任意償却
    • 税務申告:限度額計算

整備のポイント:

✓ 税理士と決算書の内容を事前にすり合わせ
✓ 別表四・五の内容を理解
✓ 過去3年分の税務申告書を確認
✓ 税務調査の履歴と指摘事項を整理

税務リスクの洗い出しチェックリスト:

  • [ ] 過去5年間の税務調査の有無と結果
  • [ ] 消費税の課税区分は適切か
  • [ ] 源泉徴収は適正に行われているか
  • [ ] 外注費と給与の区分は適切か
  • [ ] グレーゾーンの会計処理はないか

5. 勘定科目内訳明細書の詳細化

中小企業庁「中小M&Aガイドライン」より:

勘定科目内訳明細書は、貸借対照表・損益計算書の透明性を高め、買い手の理解を促進する重要資料。

整備すべき主な内訳明細:

1. 売掛金(得意先別)明細

A社         15,000千円(売上高の30%)
B社         10,000千円(売上高の20%)
C社          8,000千円
その他      12,000千円
合計        45,000千円

→ 顧客の集中度リスクを評価

2. 買掛金・未払金明細

仕入先別の残高
支払条件(手形、現金など)
滞留している債務の有無

3. 借入金明細

金融機関名
借入日・返済期限
金利条件
担保・保証の状況

4. 固定資産明細

資産名称
取得日・取得価額
減価償却累計額
帳簿価額
使用状況

実務での活用例:

帝国データバンクの調査によると、詳細な勘定科目内訳明細を準備している企業は、そうでない企業と比較して:

  • デューデリジェンス期間が平均40%短縮
  • 価格交渉での減額幅が平均15%縮小
  • 成約率が1.8倍向上

段階的な財務諸表整備プラン

フェーズ1:現状分析(1〜2ヶ月)

実施内容:

  1. 過去3年分の決算書・税務申告書の確認
  2. 主要な勘定科目の内訳確認
  3. 問題点のリストアップ
  4. 外部専門家(会計士・税理士)へのコンサルティング

必要なコスト:

  • 税理士・会計士への相談料:30〜50万円
  • 財務デューデリジェンス(簡易版):50〜100万円

フェーズ2:基本整備(3〜6ヶ月)

実施内容:

  1. 月次決算体制の構築
  2. 勘定科目内訳明細書の作成
  3. 明らかな誤謬の修正
  4. 社内会計ルールの文書化

必要なリソース:

  • 経理担当者の時間:月10〜20時間
  • 会計システムの導入・改善:50〜200万円
  • 税理士への追加報酬:月5〜10万円

フェーズ3:詳細整備(6〜12ヶ月)

実施内容:

  1. キャッシュフロー計算書の作成
  2. 管理会計資料の整備
  3. セグメント別損益の把握
  4. 予算実績管理の仕組み構築

期待される効果:

  • 企業価値評価額:10〜30%向上
  • デューデリジェンス期間:30〜50%短縮
  • 買い手候補からの信頼度:大幅向上

フェーズ4:プレゼンテーション資料の準備(M&A開始3ヶ月前〜)

作成すべき資料:

  1. 会社概要(沿革、事業内容、強み)
  2. 財務ハイライト(過去3年間の主要指標)
  3. 事業計画(今後3〜5年の見通し)
  4. 顧客・取引先一覧
  5. 組織図・主要人材
  6. 知的財産・許認可一覧
  7. 不動産・設備一覧

実例:年商5億円の製造業A社の事例

【改善前】

  • 決算書:年次決算のみ
  • 内訳明細:最低限のみ
  • キャッシュフロー:未作成
  • 評価額:2.5億円

【6ヶ月の整備後】

  • 決算書:月次決算を整備
  • 内訳明細:詳細版を作成
  • キャッシュフロー:3年分作成
  • 評価額:3.2億円(+28%)

※この事例は、M&A仲介会社B社の実績資料(2022年)より

外部専門家の活用

1. 税理士・公認会計士

役割:

  • 財務諸表の適正性チェック
  • 税務リスクの洗い出し
  • 会計処理の改善提案

費用目安:

  • スポット相談:5〜10万円/回
  • 継続的なアドバイザリー:月10〜30万円
  • 財務デューデリジェンス(売り手側):100〜300万円

日本公認会計士協会の推奨:

M&Aを検討する場合、少なくとも1年前から専門家のアドバイスを受けることが望ましい。

2. M&Aアドバイザー・仲介会社

役割:

  • 買い手が求める資料水準のアドバイス
  • プレゼンテーション資料の作成支援
  • 財務データの見せ方の提案

費用目安:

  • 着手金:無料〜200万円
  • 成功報酬:譲渡金額の3〜5% (レーマン方式が一般的)

中小企業庁「M&A支援機関登録制度」:
2021年8月に創設された制度により、一定の基準を満たすM&A支援機関が登録されています。登録機関を利用することで、質の高いサービスを受けられる可能性が高まります。

3. 金融機関

役割:

  • 資金調達のアドバイス
  • M&A候補先の紹介
  • 財務改善のコンサルティング

メリット:

  • 既存の取引関係で相談しやすい
  • 地域の情報に詳しい
  • 無料相談が可能な場合も

よくある質問

Q1: 赤字の年があっても売却できますか?

A: 可能です。ただし、赤字の理由を明確に説明できることが重要です。一時的な設備投資や、事業再編に伴う特別損失など、合理的な理由があれば問題ありません。むしろ、赤字の理由が不明瞭な方が評価を下げます。

Q2: 小規模企業でもここまで整備が必要ですか?

A: 規模に応じた水準で構いません。年商1億円未満の企業と、年商10億円以上の企業では求められる水準が異なります。ただし、基本的な「収支の透明性」「資産負債の実態把握」は規模に関わらず重要です。

Q3: 財務諸表の整備にどのくらい期間がかかりますか?

A: 現状の水準によりますが、最低6ヶ月、理想的には1〜2年の準備期間を見ておくことをお勧めします。M&Aを検討し始めたタイミングで、すぐに専門家に相談することが重要です。

Q4: 整備費用はどのくらいかかりますか?

A: 企業規模や現状にもよりますが、年商5億円程度の企業で:

  • 税理士・会計士への報酬:年間100〜200万円
  • 会計システムの改善:50〜150万円
  • M&Aアドバイザー(着手金):0〜100万円 合計:150〜450万円程度

ただし、これらの投資により評価額が10〜30%向上する可能性があるため、十分にペイする投資です。

まとめ

財務諸表の整備は、M&Aの成功率を高め、企業価値を最大化するための重要な準備です。

重要なポイント:

  1. 早めの準備開始:M&A実施の1〜2年前から整備を始める
  2. 専門家の活用:税理士・会計士・M&Aアドバイザーを効果的に活用
  3. 段階的な改善:一度に完璧を目指さず、重要度の高い項目から順次整備
  4. 継続的な管理:月次決算など、継続的な管理体制を構築
  5. 透明性の重視:隠すのではなく、問題点も含めて透明性を高める

最後に:

中小企業庁の「事業承継・引継ぎ支援センター」では、無料でM&Aや財務整備の相談を受け付けています。まずは専門家に相談し、自社の現状を客観的に把握することから始めましょう。

M&Aは人生で何度も経験することではありません。後悔のない取引を実現するために、財務諸表の整備という基本的な準備を、ぜひ今日から始めてください。


参考資料:

  • 中小企業庁「中小M&Aガイドライン」(2020年3月、2023年3月改訂)
  • 中小企業庁「事業承継ガイドライン」(2022年3月改訂版)
  • 日本公認会計士協会「中小企業の会計に関する指針」(2023年版)
  • 株式会社レコフデータ「M&A動向調査2023」
  • 帝国データバンク「中小企業のM&A動向調査」(2022年)
  • 金融庁「企業会計基準委員会」各種基準書
  • 日本M&Aセンター「中小企業M&A実務ハンドブック」(2021年)

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